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新型Nintendo Switchについて思うこと。

新型Nintendo Switchについて思うこと。
ここでは、その変更点や良くなった点等を考察するのではなく、その発表をみて、率直に感じたことを書く。
 
任天堂の元社長の岩田さんが亡くなったのはもう数年前のことだ。
社長自らゲームの紹介をするニンテンドーダイレクト等でよくメディアにも出ていたから、どこか親しみがあった。たぶん優しそうな人柄が伝わってきたからかもしれない。
 
任天堂が新しいゲーム機やソフトを発表するとき、時々、もし岩田社長が生きていたら新製品に対してどんな感想を持つだろう?
岩田社長ならどんなアイディアを出すだろうと考える。
 
最近、Nintendo Switchの新型が発表されたが、
今回のマイナーチェンジのような製品を良しとするだろうかと言うことを感じた。
 
個人的には、特に否定的でも無いが、既にSwitchを持っているので、改めて買いたいなとは思わなかった。
(それよりもPS5が欲しい。)
 
似たような感情はiPhoneIpad等のappleの製品にも感じている。appleは特に、スティージョブズが作った会社で、その製品もジョブズが考案したイメージが強い。だから、ジョブズ亡き今、ジョブズが生み出した製品のマイナーチェンジを繰り返して、市場を拡大し、経済を回しているだけというイメージがある。需要と供給の観点から、アップル製品の広まりはたぶん悪いことではないと思う。けれど、同時になにか物足りなさを感じてしまう。今後、マッキントッシュiPhoneIpadが初めて登場した時の革新さを感じることはあるのだろうか。
そんな感情を今回の新型ニンテンドースイッチの発表でも感じた次第だ。
 
岩田社長のことを思い出して、一時期岩田社長自体にハマっていたこと思い出した。岩田社長の考え方などが興味深くて、インタビュー記事や本などを読ん出ていた。
 

 

www.1101.com

   上記のリンク先で、一部無料で読める。

 

 

当時メモしていた一部抜粋して載せておきたい。
(引用元がどこか忘れてしまったのでご了承いただきたい。)
 
任天堂社長岩田と糸井の対談
 
【岩田】 
それで、けっきょくわたしは、
「自分たちは、なにが得意なのか。
 自分たちは、なにが苦手なのか。
 それをちゃんとわかって、
 自分たちの得意なことが活きるように、
 苦手なことが表面化しないような方向へ
 組織を導くのが経営だと思います」と、
たしか言ったと思います。
 
物事って、やった方がいいことの方が、
実際にやれることより絶対多いんですよ。
やったほうがいいよねっていうことが
山ほどあるんです。
だから、やった方がいいことを全部やると、
みんな倒れちゃうんです。
なので、オレたちはなにが得意なんだっけ、
ということを自覚したうえで、
「なには、なにより優先なのか」
をはっきりさせること。順番をつけること。
それが経営だと思いますって、
当時若造だったわたしは言ったんですけど、
じつは、いまも考え方はぜんぜん変わってません。
 
【岩田】
    考えるのをやめないこととか、
とにかく延々と突き詰めていくこと。
それは、疲れるし、見返りがあるかもわからないし、
たいへんなことだと思うんです。
でも、それは、それができる人にとっては
苦行じゃないんですよ。
それを苦行だと思う人は、
苦行じゃない人には絶対勝てない。
だから、それが才能なんだと。
だから、自分が苦労だと思わずに続けられることで、
価値があることを見つけることができた人は、
それだけでとても幸せだと思います。        
 
【糸井】
    ご褒美とか、快感について、
似たようなことを、ぼくも考えたことがあります。
そのときにぼくは
「あ、これが境界なんだな」と感じたことがあって、
それがなにかというと、
「快感には、ふつうの快感と、
 ぴりぴりする快感がある」
ということなんですよ。        
 
【糸井】   
つまり、自分が生きるのを有利にしてくれる存在、
という意味だからね。
 
【岩田】 
   共通することがなにかというと、
人は、まずその対象に対して、
自分のエネルギーを注ぎ込むんですね。
時間だったり、労力だったり、お金だったり。
そして、注ぎ込んだら、注ぎ込んだ先から、
なにかしらの反応が返ってきて、
それが自分へのご褒美になる。
そういうときに、
自分が注ぎ込んだ苦労やエネルギーよりも、
ご褒美の方が大きいと感じたら、
人はそれをやめない。
だけど、帰ってきたご褒美に対して、
見返りが合わないと感じたときに、人は挫折する。
これは「やめずに続けてしまうゲーム」の
条件としても成り立ちますし、
「英語を学ぶときに挫折しないかどうか」も、
同じ理屈で説明ができると思うんです。
 
つまり、才能というのは、
「ご褒美を見つけられる能力」
のことなんじゃないだろうかと。
 
【糸井】
    つまり、ご褒美とか快感っていうと、
おいしいものだったり、甘いものだったり、
それこそお金だったりというような
漠然としたイメージがあると思うんですけど、
たとえば指圧なんかで
「いたたたた、痛いけど気持ちいー」
っていうのがあるのと同じで、
ぴりぴりする快感があるんですよ。
で、そこの部分に味をしめちゃうと、
天才領域にいくんですよ、おそらく。
 
そうかもしれませんね。
プログラムというのは、
純然たる、純粋なロジックなので、
そこに矛盾がひとつでもあったら、
そのシステムはちゃんと動かないんですね。
機械の中で間違いは起こらないんですよ。
間違いは全部、機械の外にある。
だから、システムが動かないとしたら、
それは明らかに自分のせいなんですよ。
でも、プログラマーって全員、
プログラムができた瞬間には、
「これは一発完動するに決まってる」
と思って実行してみるんですよ。
でも、絶対一発完動しないんですね。
だけど、その瞬間だけは、
「オレは全部正しく書いたに決まってる」
って思い込んで実行キーを押すんです。
いや、ほんとに、すごくいい話ですよ。
「ものをつくる人」と「お客さん」は、
王様と奴隷の関係にある。
でも、王様は「ものをつくる人」じゃない。
「お客さん」のほうが王様。
で、「ものをつくる側」は奴隷の役。
王様は「もういらない」って言うことも、
「つまらない」って言うことも
「わからない」って言うことも
自由にできる、超わがままな立場で、
その超わがままな王様に、
どうしたら喜んでもらえるかな、
まえのものは飽きちゃってるけど、
つぎはこうしたら喜んでもらえないかな、
ということを、奴隷の側は考える。
「その『考える奴隷の仕事』の
 おもしろさをわかりなさい」
っていう話だったんですけど、
すごく印象に残ってますね。
 
【岩田】  
  やっぱり、こういう立場になると、
本に出てくることと
自分の身のまわりにあることが
つながるようになったんですよ。
プログラムを専門にしていたときは、
組織や経営の本を読んでも、
つながってないから入ってこないんですね。
たしかに知識は増えるんですけど、
知識が増えるだけだと達成感がないんです。
「明日、これが使えるぞ」
っていうことがないんですね。
そうすると、さっきの話でいうところの
「ご褒美」が感じられないわけです。
覚えないけど、わからないことどうしが
つながるのがおもしろかったんですね。
それが自分にとってのご褒美だった。
当時の糸井さんはね、役割として、
どの程度たいへんかということを
漠然と知りつつも、
「なんとかなる」という前提でいるんです。
リーダーって、そうじゃなきゃいけないんですよ。
「なんとかなる」という前提で
すべてが動いているからこそ、
みんなが「なんとかしなきゃ」って思うんです。
それは、わたしもときどきやるんですよ。
たとえばWiiをつくるときに、わたしは
「本体をDVDケース3枚分の厚さにしてほしい」
ってスタッフに言ったんです。
もちろん、そうとうたいへんなのは
わかってるんですけど、
わからない振りしてやるんですよ。
 
【岩田】
わたしが見つけた「天才の定義」があります。
「人がいやがるかもしれないことや、
 人が疲れて続けられないようなことを、
 延々と続けられる人」、
それが「天才」だとわたしは思うんです。